デザインの範囲
「デザインとは何か?」というと、おそらく全国から、世界から多くの意見が出されるところだと思います。
私が思うデザインとは、問題解決です。
問題や課題を解決するために、どう設計するのか、その行為全体を指すとも言えます。
デザインの成果物そのものに意味はない
デザインによってつくられた成果物自体には、本来何の意味もないと考えています。どういうことでしょうか。
私の仕事ですと、ウェブサイトやパンフレット、チラシ、各種文章やコピー、映像等が成果物に当たります。その時点で、目に見えるものだったり、耳で聞こえるものになります。
ただ、その目で見えるもの、耳で聞こえるものには意味はないということです。
意味は、デザインによって生み出された成果物が、お客様やその情報を受取る人、社会などにどういう影響を与えたか?という部分にだけ存在します。
多くのクリエイターが、デザインの中で美しさ、斬新さ等を追求します。仮にそれだけで完結した場合、それはデザインとは呼びません。ここの所少なくなった印象のあるFlashムービーでも、かなりカッコいい「作品」とも呼べる商業デザインを何度も目にしましたが、あれは本当に高い技術ですね。ですが、それがデザインと呼べるかどうかは定かではありません。なぜなら、問題を解決しているかどうか?という点においては未知数だからです。
デザインの範囲は想像できる範囲すべて
では、デザインとはどこからどこまでを指すのでしょうか?
仮に仕事が、ウェブサイトの制作だったとします。民間企業だと、目的はほとんどの場合、販売促進です。
そこにはデザインされたウェブサイトによって、売上高または利益を生み出さなければ企業が存続できない(かもしれない)という問題があります。企業が存続できなくなると、従業員の生活が危うくなるという問題が発生します。従業員の生活が危うくなると、その家族に影響が及びますし、もしかしたらその従業員の住宅ローンの返済が危うくなり、貸付を行った業者に影響が出るかもしれません。つまり、ひとつの仕事に対して、無限大の関連性があるのです。
これらの関連性すべてに対して、具体的な責任(損害賠償など)を負う必要はありません。しかし理念的には、できる限り深い部分まで関連性を見抜き、「自分の仕事によって影響を与えるかもしれない範囲」を想像することは大切です。
それを私は「思いやり」と言うのだと思います。思いやりの範囲を極力広げながら制作を行うこと、それがデザインそのものです。つまり、デザインに明確は範囲はないのです。逆にいうと、イマジネーションが及ぶ範囲のすべてがデザインとも言えます。
時間的な概念も含まれる
先日も、私は地域の食の名産品をPRするための仕事を請けました。観光客向けのPR情報です。
私の仕事は、基本的にウェブサイトの制作です。情報を受け取り、ビジュアルのデザインを行い、HTMLにし、インターネットに公開する。それが具体的な仕事です。それによって、対価はいただけるでしょう。
しかし話を聞いていると、どうも本質的な問題は「ウェブサイトを作る」ということとは別の部分にあるようです。この名産品は値段が高く、地域の人が気軽に食べられるような品物ではありません。このため、地域の人にとっては馴染みが薄く、ひどい場合だと悪い噂を流したりするケースもあったようです。おそらく、観光客の流入によって潤う業種に妬みを抱く人たちかと思います。
どうもこの問題を解決しないことには、本質的・永続的な発展は見込めないのではないかと、直感的に考えました。地域が認めていない名産品が、長期的に発展するとは思えないからです。
ということで私は、予算の一部を裂き、地域住民向けの情報発信をするための仕組みを考えることにしました。この名産品に対し、理解をしてもらうための間接的な手法です。(直接的なメッセージは反発を買いやすいため)
本来であれば、ウェブサイトを言われたとおりに制作し、お金をいただくほうが遥かに楽で、利益になります。
しかし、本質的な問題を解決しなければ、いつしか地域は疲弊し、やがて自分がいただく仕事の量も減少していくでしょう。20年、30年といったスパンで人生をデザインする場合、今この瞬間の利益だけでは推し量れない部分があるものです。
面白いこと
永続的なビジネスで、徐々に発展していく。弊社はそういう考え方です。ただし、決して後退はしません。
そのためには、概念的にデザインの範囲を広げ、本質的な問題解決こそデザインであると認識しながら具体的に行動する必要があります。いかに素晴らしいウェブサイトを作るか、いかに素晴らしいパンフレットをつくるか・・・といった範囲の認識では不十分なのです。そうやって、深い部分まで考察し、お客様のニーズを超えるニーズに応えることが本来の仕事だと感じています。
そして、実がここが一番大切なのですが。
そんな風に、高い視点から見て仕事をするほうが「面白い」のです。