2022年の1月30日に放映された番組「日曜日の初耳学」で、「今でしょ」の林修さんがインタビュアーとなり、人気落語家の立川談春さんにお話を聞くコーナーがありました。
私は存じていなかったのですが、立川談春さんは「日本一チケットが取れない落語家」と言われているそうですね。実際、立川さんの言葉1つ1つから、たくさんの気づきがありましたし、番組中にもあった「伝わるしゃべり方」という意味でもとても勉強になりました。
その、しゃべり方そのものも興味深かったのですが、番組にあった「手ごたえのある生き方」という観点について考えてみました。
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番組の最後で、林さんが立川さんに、「手ごたえのある生き方をするのに何が必要か」という質問をされたんです。…そもそも、この質問の仕方は林さんが考えられたのかどうか分かりませんが、「手ごたえのある生き方」という観点自体が素晴らしいですね。成功する生き方、ではなく「手ごたえのある生き方」という考え方が、時代を表しているように思います。
この質問に対して、立川談春さんはこうお答えになりました。
「世間的に成功だと言われて否定しづらい人たちは、自分にとって質のいい努力をしています。じゃあそれはどうやって探すんだ?と。”無駄な努力”をしてください。100個見つけたら、1個ぐらい手ごたえがあるでしょ。あとはキザですけど、無駄な努力をしてあがいてるときのほうが楽しいですよ」
手ごたえのある生き方のためには。
「質のいい努力」をする。
質のいい努力はどうやって探すのか?
「無駄な努力」をする。
この考え方、言葉の選び方、とても秀逸だと思います。やっぱり本質的なことは今も昔も変わらなくて、最終的には「やってみる」ということなんですね。
ですが、この解釈をもう少し深めてみたいと思います。
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結局は、努力が必要ってことでしょ?
そういう風に聞こえる部分もありますが、それだけではない部分がすごく重要だと思います。それは、「自分にとって、手ごたえのある努力であること」が重要だということです。
昔、人間の生き方が今よりもシンプルで、幸福のあり方や価値観、目指すものが明確だった時代には、努力すればするほど手ごたえがあったのではないか?と思うところがあります。人は、カラーテレビや車を買うために努力できただろうし、何を努力すればいいかが、割と分かりやすかったのではないでしょうか。
でも今はそうではなくて、何を目指したら自分は幸せになれるのかが、いまいち掴みにくい時代になってしまいました。そんな中で「手ごたえのある生き方」を見つけようというのは、簡単なことではないでしょう。
一方、多様化した現代では、画一的ではないぶん、自分に本当の意味でピッタリくる生き方を選びやすくなったとも言えます。
だから、生き方を100個試してみて、そのうちの1個でいい、ということです。
この時の努力の仕方には、答えがない、というだけで。
生き方・あり方の本質は先人からたくさん学ぶことはできると思います。だけど、今の時代にどういう道を選ぶべきか?の答えそのものは、やはり自分で見つけるしかありません。
つまり、努力の仕方を人から教わったとしても、それが自分に合っているかどうかは分からないということです。同時に、誰かに何かを教えるとして、自分の努力の仕方を人に教えても、相手に合っているかどうかは分からない、ということです。
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自分の内面にあるものに問いかけ、無駄な努力を続けながら、「手ごたえ」を頼りに生きていこう。
これは人の意見、教えを聞くなということではありません。むしろ聞いたほうがいいけど、自分の内面にある共鳴するかどうかが重要だし、単純に鵜呑みにするのではなく、自分で咀嚼して考えてみることが重要ということですね。その判断基準が「手ごたえ」ですね。
私も、これからも「手ごたえ」を頼りに、「手ごたえがあればOK」「手ごたえがなければ、方法を変える」を純粋に繰り返していけたらと思っています。