ジガーの力は強大だ。
ジガーは自分の信念を常に貫こうとする。
それは自分の中の正義を貫こうとすることと同じだ。
その信念の向かう先が、仮に、
崖から転落する方向性だっとしても、だ。
むしろ、
自分が崖から転落してしまっていることにさえ
気づかないよう、
ジガーは懸命に働いてくださる。
お前が悪い、アイツが悪い、
彼は、彼女は、ほんとにダメなやつだ。
どうしようもない。
なんで分からないんだ!
そんなふうに感じた経験はないだろうか?
私はある。過去に何度も。
このようなマインドが、
ひとたびジガーにセットされると、
すべての情報を「自分以外の誰かのせいだ」と認識するように、
ジガーは一生懸命、働いてくださる。
24時間、休み無く働く。
その結果、最も怖いのは・・・
自分から発してしまう、負の想念に、
すぐそばにいる大切な人さえも
巻き込んでしまうということだ。
自分の正しさをジガーが強固にするほどに
負の想念は、どんどん大きくなっていく。
そして伝わってしまう。
大切な家族に、恋人に。
大切な社員に、同僚に。
大切な仲間に、友人に。
それは、よくない。
信念のハンドルを、ちょっとだけ切る。
ゆるやかなカーブでいいから、
愛と誇りのある場所に。
自我とは
個人ひとりひとりが自己・自分というものが何なのか、その特性を認識し、他人や周囲の環境など他の存在と区別する意識。「意識の中心」と言われていて、個人が経験する感情、思考、記憶の中心として機能する。そして、時間が経過しても、自分というものが「他の存在にならない」感覚を持続し、連続性をもつための意識でもある。
フロイトによると「自我(エゴ)はイド(本能的な欲求)と超自我(社会的・道徳的規範)の間でバランスを取る役割を果たす」とも言われている。
自己チューが起きるのは、自我の仕業といって差し支えないだろう。自我は意識の中心。世界のすべてを、自分を中心として考える。自分の感覚、思考、記憶を中心として考える。
だから、愛の経験が多い人は愛を中心として生き、否定された経験が多い人は否定を中心として生きることになる。
誰かの生き方の中心に「否定」があるとしたら、悲しすぎることだ。